祝祭(一)
星下暦三三二年秋。
刈り取った穂を束にまとめながら、女性は首にぶら下げていた手ぬぐいで汗を拭く。そうしながらも、視線はあぜ道の風景に向かってしまう。そこに見えるのは、どこにでもありそうな風景。だが、彼女の持っていないものだ。この時代は、飢えも貧困もない理想的な社会ではない。すべての家族が、この風景を持てるわけではない。
母親の刈った穂を、娘が受け取りそれを束にしていく。別段これといって、何でもないありふれた光景である。
その女性は、娘を病に冒されている。十年以上、目覚めていない。その間に、娘の父親は去り、女手一つで支えてきている。正直、ここ半年ばかり、そろそろひとりで支えるのにも限界を感じている。
こうして、幸せそうな家族を見かけると昔は希望が出たものだが、最近は己が劣っている人間のような気もしてくる。嫉妬し始めている自分に気づき、幻滅することも増えてきている。
秋祭り。
この収穫が終われば、各地で収穫を祝う祭りが行われる。この村では数日後のようだが、彼女自身の村では既に終わっている。
祭りも好きではなくなりつつある。娘の意識が戻るという理想にもはやすがり続けるのは難しい。幸せなよその親子を見る機会として、祭りを拒みつつあった。
(二)
「たいしたものだな」
ドワーフが連れにそう声をかけた。
「どうでもいいけど、スゲマ、もの買いすぎ」
落ち着いた格好の女性が、ため息を漏らす。
「まぁいいじゃありませんか。浮かれる気持ちもわかりますよ、これだけの祭り、そうはなかなかあるものではないですからね」
しっかりと洗濯されたローブで身を包んだ壮年の男性がスゲマをかばう。まだ杖をつく年齢でもないというのに、彼は杖を携えていた。
「うむ、このモロコシはいけるぞ。ストウィ、イバイ、ぬしらもどうじゃ?」
食べきった残骸を無造作に足下に落とす。脇に抱えた麻袋から次のモロコシを取り出す。
「さすがはキングーニャです」
イバイと呼ばれた男性は、ドワーフのモロコシを見つめている。
「ん? 喰いたいのならば、やるぞ?」
スゲマは袋の口をイバイに向けた。こんがりと焼き上がったモロコシの姿が何本も見える。
「そうね、ここなら神殿の仲間もいないでしょうし……一本いただくわね」
ストウィがヒョイとつまみ上げる。
「ん〜〜、いい匂い」
焼けた糖分の香りが華に飛び込む。すれ違った人の一部が、この香りに惹かれて道端の露店に群がっていく。
「いえ、私はいいですよ。この辺りでは収穫できない、モロコシのような作物を道端でこう焼いて売ることができるなんて、さすがは名だたる港町……と感心していたところなのです」
その言葉を耳にし、二人はモロコシを眺めなおした。
「そう言われれば、モロコシを食べたのはいつのことじゃったかのぉ」
「修業時代に一本の半分を食べた記憶があるくらいだわ。こんなふうに気にせず食べるなんて、はじめてかも」
イバイは二人から視線を戻し、歩き始めている。
「どういうことかおわかりですね」
ストウィ、スゲマも追うように歩き始めた。
「これだけもうかっているならば、何かが起こるってことね」
「ふむ、まずは式典とやらを見に行くとしよう」
髭を蜜で汚しながら、スゲマが宣言した。
(三)
白き衣だった。
白というのは案外難しいものだ。だからこそ、真なる白に近いものを見ると、人は心を動かされるわけだ。
「それじゃ、しっかりお勤めをお果たし」
エムグラの頭に向かった手が止まる。彼女の母が教会の方々に手伝ってもらいながら結い上げた髪だ。乱すわけにはいかない。
父親はエムグラに近づけた手をどうしたものだか戸惑っている。
――緩やかなる死への舞い
ざわざわと立っている人の群れがエムグラ親子を眺めている。その中で、サビヌは声を耳にしたと思った。辺りを見回すと何の変化もない。聞いたとしても彼一人ということなのかもしれない。
この下町界隈で祝祭の巫女に選ばれたのはエムグラ一人。祭りが始まってから初の快挙である。
サビヌの一家はエムグラの家族と親しい部類に入っている。そのため、彼女の側で見送ることができた。
「ん? どうしたの?」
己の父親、ドナルドの戸惑う姿に微笑を浮かべたまま、エムグラはサビヌに問いかけた。
「きょろきょろして〈はしたない〉って言われちゃうわよ」
ちょっとだけお姉さんの雰囲気で微笑んでいる。弟を見守る雰囲気である。
――〈死〉とか聞こえたなんて言ったら不吉だよなぁ……。
少年は慌てて頭を振る。
「いや、べつに、人混みにびっくりしちゃって。うちの町にこんなに人がいたんだね……」
「うふふ。今はそういうことにしてあげる……、でも祭りが終わったらホントのことを言うのよ」
微笑みを絶やさずに小声で告げた。そのあと、声を大きくして話し続ける。
「このくらいの人々で驚いていちゃ大変よ。巫女の先生が言うには、もっともっとも〜っと町は大きく、人が増えていくんだって!」
世俗から離れた雰囲気を醸し出す、衣の白の力を打ち消すように、大きな身振りをしてみせている。
「身振りはそのくらいにしておいてくださいな」
エムグラの肩に手が置かれた。指先から暖かさが伝わってくる。
「せっかく母さんがつくった衣装はあまり激しい動きには向いていないというからな」
ドナルドも腕を組んで頷いてみせる。
ゴーン、ゴーン。
「エムグラさん、そろそろよろしいでしょうか?」
エムグラの纏う衣と、どことなく似通った雰囲気の人である。祝祭の時期となったせいか、彼も白系統の衣を纏っている。巫女のものと同じように、あまり実用的とは言い難い形状をしている。
「あっ、ごめんなさい」
少女はうつむいてしまう。その肩に手をやり、神官は声をかける。
「大丈夫ですよ、まだ余裕はたくさんありますから」
エムグラは静かに体を起こした。
「では、わかっていますね」
「はい」
エムグラは母親を見て、そして父親を見る。そして、サビヌ、親しき人々を見て、群衆を見る。
「本年の祝祭において、私、エムグラが栄え豊かなる巫女の一人として選ばれました。これは畏れおおいことであるものの光栄なことと思っています……」
彼女は再び皆の顔を静かに眺めなおしている。その額に汗が流れていることにサビヌは気づいた。汗が流れたあとの額がぴくぴくいっているみたいだ。
――あれは、焦っているってことだったよね。大丈夫かな?
神官が少女の肩に手を当てて何か呟いた。皆は気づいていないようだが、サビヌはそれを見ていた。
「この町にも栄えが分けられるよう祈ってきます。神は我々とともにあるのです。では、祭典でお会いしましょう」
巫女エムグラは神官2人に伴われ、立ち去っていった。
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