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占顔(一)

 少女は桶を置き、あふれだす汗をぬぐった。村の共同水源である溜め池からの帰路の途中である。
「今日も精が出るわね」
 村はずれの林へと、薬草を拾いに行く年配の女性が声をかけた。
「いままでたくさん眠らせてもらったのだからこれくらいしないと……、落ちつけないんです」
 少女はいつも通りの返答をした後、軽く頭を下げ村へと歩を進めていく。
 見送りながら女性はだれにともなく、一人呟くのだった。
「十年以上も眠りっ放しだったあの子が、ねぇ……」

 少女は自宅の前に人だかりを目にした。ざっと見ただけでも十人程度の村人を確認できる。五十人規模の村としては異例の数といえようか。
「なにかあったのですか」
 人だかりの外側に隣家の住人を見つけ声をかけた。彼は少女が眠っている間もその後も何かにつけて、少女の生家の世話をしてくれた人物であり、少女の心を許せる数少ない人物の一人でもある。
「また奴ですよ」
 彼は少女を隠すように位置を変えながら答えを返した。
「まずいときに帰ってきましたねぇ」
 人だかりの中には、少女の生家があり、そしてその前には、少女の母親と、薄汚れた革鎧を身につけている男を連れた太った親父がいた。
「あなたの旦那様にはいろいろと世話になりましたのも事実です。とはいうものの、旦那様が亡くなられてもう何年が過ぎましたでしょうか。そろそろお貸ししておりました金額を返済され始めてもよろしいのはないでしょうか」
 親父は母親をじっと見つめる。
「ごめんなさい。やっと娘が起き上がったところでまだあなたに返せるだけの余裕がないのです」
 母親は頭を下げる。地面が濡れ始める。
「あなたがここまで返済を待ってくれただけでもありがたいというのに、さらに返済を待ってくれというのは厚かましいとはわかっていますが、本当にごめんなさい」
「困りましたね。奥様にそこまでされては……。今日のところは引き上げますから、次回にはいい返事が聞けるよう願っていますよ」
 親父は地面を見て、ため息をつき、後ろを向き素早く歩き始めた。
「いいんですか、ボス」
 親父の素早い動きに唖然とした男があわてて、後を追い始めた。
「旦那様と奥様相手にはビジネスはできなぇなぁ」

(二)

 男の泣き声がした。
 この辺りではあまり珍しくないのかも、と、周囲を確認したツェナは思うのだった。彼女にとって男の泣き声というものは珍しいものだった。だから、泣き声の発生源へと歩を進めた。
 裏町の細い路地に入る。泣き声が大きくなると同時に、見通しが悪くなってきた。
「ここでならば、だれにも見られずに泣くことができるわね」
 ――泣き顔を隠すことに成功しても泣き声がこれだけ大きいならば、結局のところ男として恥をかくことになるでしょうに。
 路地の先で泣いている男性に気づかれないよう足音を忍ばせて、ツェナは進んでいく。
 ――と、ツェナの予想とは少々違った光景を見ることになった。
 路地の奥では、数人の少年たちが一人の少年に対して、手足を用いて痛めつけていた。泣き声は苦痛に堪えきれなかった少年の口から漏れていたものだった。
 ツェナはこの光景にあきれはてるしかなかった。無力な少年を痛めつけて楽しんでいる表情を浮かべる少年たちに。痛めつけられるだけで反抗しようとしない少年に。この泣き声を聞いても彼らを止めようとしない周りの住人たちに。
「そのようなことをして恥ずかしくないわけ? ほんとにあきれはてちゃう」
 少年たちに声を浴びせた後、聞こえるようにため息をついてみせる。
「俺たちのやっていることに何か言いたいことでもあるのか」
 小太りの少年が動きを止め、ツェナを視界に収めて声を出した。彼は、人の頭ほどある革袋を右手で持ったままである。残りの少年たちは、彼が動きを止めたのにあわせて動きを止めた。
「……遊んでいただけだよ……、気にしなくていいから……」
 全身に土埃をつけている少年は、そんな汚れた手で必死に涙をふいて、泣いていたことを隠そうとしつつ、笑っている表情をしてみせる。だが、とってつけたかのような笑い顔は、泣いていたことを隠すだけの効能はなかった。手についていた埃が目に入ったのか、未だに涙も止まりもしなかった。
「それだけ殴られたり、蹴られたりしてそんなこと言うわけ。苦しい思いしている君がいいと言ってもその泣き声を聞かされる私が気持ち悪いのよ。せっかく久々に散歩に出られたというのに、そんな陰気な声を聞かされたんじゃね」
 少年を睨みつける。
「おいおい、ノバールは俺たちの大事な友だちなんでね」
 小太りの少年の発言に応じて、彼らはノバールを囲むように隊列を整えた。
 ツェナの視線は、自然とノバールから残りの少年たちに移ることになる。
「だいたい、あなたたちも気にいらないわね。反抗しないノベール君……だっけ? その無抵抗の人をさんざ痛めつけて何が面白いわけ? あぁ、やだやだ、おまけにこんなおバカさんたちをそのまま野放しにしておくここの住人さんたちも嫌ねぇ」
 ツェナは声を挙げながら少年たちの方へだんだんと近づいていった。それに応じてか、小太りの少年は革袋の端を閉じるひもを握り、袋を振り回し始める。
 そして、革袋をぶつけられる距離まで彼らは近づくことになった。

(三)

 ツェナは一歩左へと身を寄せた。
 彼女の動きに遅れて、革袋が彼女のもといた空間を一瞬のあいだだけ占有する。
「なかなか鋭いわね」
 革袋を手元へ引き戻す少年に言葉をぶつける。
 そして、また一歩少年たちの方へ近寄っていった。
「俺の一撃を避けるとは……、なかなかやるな、おまえ。ひ弱そうな女と思って油断したが、これからは本気でいくぜぃ!」
 そこまで言って、小太りの少年は後ろに控えていた残りの少年たちに声をかける。
「おまえたち、拡翼の陣だ。一気に叩きつぶせ」
 ぱっと散開する少年たち。ツェナは包囲され退路も進路も断たれることになった。少年たちに近づこうとしていた彼女にとっては、十分近づくことのできたこの事態は歓迎すべき事態なのかもしれなかったのだが、そのことに気付くほどの者は包囲者の中には存在しなかった。
「トゥリャ!」
 少年の一人が彼女に殴りかかる。ツェナは軽く身を下げ拳をかわし、隙だらけになった彼に抱きついていく。
 ――この子、どこか光るものを感じるわね。なんか、もぅ、すごく面白そうなものを感じるわ。
「あなた、とっても面白そうね、こんなばかげたことしかできない人たちの仲間でいるのは もったいないわよ」
 少年の後ろから抱きついたツェナは、余裕の表情で耳元にささやく。指先では彼の体をくすぐり始めたりもしていた。
「サビヌを取り返せ」
 小太りの少年が、革袋を頭上で振り回しながら叫ぶ。サビヌ少年に抱きついているいまならば、余裕で革袋をぶつけられるだろうが、万が一サビヌにぶつけてしまえば、部下たちの信望を失うことになる。そのリスクを考えれば自分が動くにはもう少し待つ必要があろう。
 そして、サビヌは思っていた。彼女の髪の薫りに、日常と違う空気を。


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