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祝祭(一〇)

 人でごったかえしていた。よくもまぁこんなにも人がいたものだ。イバイはそう思う。彼が一時期身を寄せていた土地も決して小さな町ではなかったはずなのだが、ここまでの人出はなかったような気がする。あったのかもしれないが、数年の根無し草生活の中であの土地の思い出もかすれてしまったのかもしれない。
 サビヌ、イバイ、ストウィ、マトールらが神殿に着いたのはつい先ほどである。鐘が鳴ってからすぐきたほうだ。儀式の始まりが近いことを表す鐘。儀式はこの祭りの華である。
 決して遅くついたというわけでもないはずなのだが、一般大衆に公開された神殿内の広場は人でいっぱいだった。ここまでくる途中の人並みのほうがまだ過ごしやすいと感じられる。
 人々は奇妙に静かだった。人がたくさん集まれば、たいていざわざわと騒がしくなるものだ。だが、ここでは静かだった。
 人々の信仰を集める神殿の力なのか、人々の持つ神殿への恐れ、それとも儀式への静かな期待、儀式が終われば祭りの半分以上が終わってしまうというむなしさか。
 ワァーッ!
 人混みの前方でどよめきが起こる。マトールは爪先立ちで様子をうかがうが、どうにも見ることができない。
「どうなっとるんじゃ? おい」
「どうも巫女さんたちが出てきたみたいね」
 ドワーフのマトールの1人半の大きさのストウィが返した。

 エムグラは段を登り終えた。広場全体が視界に飛び込んでくる。視線を感じる。それも彼女には数え切れないほどをだ。
 一瞬、振り返りたい衝動に駆られるが、それはできない。
「何をやっているのです? 早く進みなさい」
 小声でマゼルダが注意してきた。慌ててしまったのがいけなかったか。バランスを崩しかける。
「おつかれさま」
 別の口からこの祭壇にあがってきた女性が素早く歩み寄り、エムグラを支えてくれた。広場からはエムグラの倒れそうになったのは見えなかったことだろう。

 ――この娘がエムグラさんね。
 ツェノワールは、微笑みを浮かべて白い衣の巫女を眺める。彼女よりもいくぶんか年下なのだろうか。なにより、この人気に慣れていないと見うる。ツェノワールのような身分のものでもなければそうそう、これに慣れる機会はないのだろうが。
 ツェノワールのもとより、エムグラは離れていく。祭壇中央に据えられた聖杯を中心に位置に着いた。
 左より幼女。右より幼児。ともに漁村ふうの衣を纏っている。幼女が海藻を渡し、幼児が魚を渡す。
 いよいよ祭りの始まりである。

(一一)

 翁が姿を現す。女性たちが上がってきた中央の階段とは別の階段から上がってきたらしい。サビーヌら観衆からは突然出現したかのように見えたかもしれない。
 翁は木材で組まれた桶を両手で捧げ持っている。貴人用のスペースからならば中に水が入っていることを見て取れる。波が起これば桶の外に落ちていく飛沫のさまで、観衆も中に水が入っていることを知ることができたのかもしれぬ。だが、揺れをごくわずかにおさえた桶の中では、波は見られない。その桶を支える腕、確固たる足裁きを見れば、翁がただ生き長らえてきただけの老人ではないとマトールは見るのだろうが、いかんせん背丈の苦しいドワーフの彼は感じられはしなかった。
 祭壇に一礼、巫女たちに一礼、幼児たちに一礼、観衆に一礼する。

「あの礼とは別に、我々にも礼をするべきとは思わないかね?」
 グラスを卓に戻しながら、トーマス・フェイグロイドは側に立つヤグルクイに声をかけた。

 翁は頭を垂れ、祭壇への道のりに視線を落としながら、進んでいく。

 商人は空いたグラスにワインを注ぐ。
「祭りは古くから伝わるものです」
「では、無理かな」と貴族。
「いえいえ、話は最後までお聞きくださいませ。この形を指導しているのは今の司祭たち。司祭たちの解釈によって祭りは指導されているわけです」
「そういうことか」
 ヤグルグイから祭壇へ視線を戻し、トーマスはニヤリと口をゆがめる。

「ごくろうでした」
 ツェノワールは穏やかな表情で翁をねぎらう。波一つたてずに桶を運び、水を静かに流し終えた達成感が全身からあふれ出している。
 祭壇の中央に置かれた巨大な杯は、よく冷えた水をたたえ、白く光っていた。
 翁は祭壇から下る。上がる前同様、四方に礼を行う。礼を得た人々は、静かに礼を返す。
 ツェノワールは聖杯の裏に置かれた卓から赤い盃を取り出す。彼女の腕の程の大きさのそれは、甲羅でできていた。

(一二)

 ロザンスは、開けた扉から倒れ込んできた老婆を抱きかかえるように胸で受けた。支えきれず、思わず後ろに倒れ込んでしまう。痩せ衰えたように見える老婆とはいえ、書物と比べるとかなりの重さと嵩(かさ)を持っている。ロザンスに支えられるはずがなかった。
 ――何者だ。
 彼は老婆を押しのけ、体を起こす。横たわる老婆の脇にかがみ込み、その様子をうかがう。
 見たところ呼吸はしているようだが、意識はなさそうだ。とはいってところで、書物を通しての術の知識しかないロザンスには、これ以上の情報を掴むのは難しそうだった。
 とりあえず老婆を無力化することにする。見た目とは違い、未だ彼を圧倒するような力を秘めている可能性は皆無ではない。その可能性自体根拠はないのだが、だからといって可能性がないことを裏づける根拠自体ない。
 老婆のかさかさの肉体に書物が積まれていく。造本技術が読者諸兄の21世紀日本のようなレベルに達しているわけではない。すべてが人の手によって編まれるその書物は、成人男子の腕くらいの重さがある。そうやって載せられたそれぞれの書物が老婆の全身に負荷を与える。
 老婆の口から声が漏れ出す。
 その音を鼓膜で受け止めてから数秒後、ロザンスの脳裏に思い浮かぶ光景があった。

 血まみれの老人にのしかかって泣き叫ぶ老婆だ。彼女自身も老人に負けずに真っ赤に染まっている。老人の身から溢れ出した血だけではなく、老婆自身の傷から漏れ出した血の赤さでもある。
 ロザンスはその2人にとどめを刺すこともできた。だが、彼らの守っていた村の宝は既にロザンスが脇に抱えている。目的を果たした今、あえて彼らを同行する気はなかった。なんといっても、ロザンスは疲れを感じていた。十数年にわたり同じ村で時折顔を合わせてきた老夫妻を傷つけ、宝を奪うという悪行を果たしたのだ。不慣れな悪行に彼の精神は十分疲れ果てており、さらなる悪行どころか、何もしたくなかった――もしかすると、横になって寝るどころか、息をすることでさえもが面倒になっていたのかもしれない。

 初の悪行の際に見た故郷の老婆と、今日倒れ込んできた老婆の姿はまるで違う。
 ――未だに、俺に情けがあるというのか。
 ロザンスは溜息を漏らす。思わず運んできた書物を老婆の頭に落としたくなる。だが、当初の計画通り老婆の腕に載せた。老婆の体がわずかに動いた。


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予告
第一篇 第六幕 海神(うみがみ)
 祭りに集まったエネルギーはその地を守る力となり、少年に少女との立場を強く感じさせることになる。
(全12回)


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