波紋(四)
木洩れ日が少年たちを照らしていた。
サビヌはツェナに肩を借り、歩いていた。その歩く姿はこの年代に一般的に見られるような躍動感あふれるものではなかった。一月近い間、床に臥していたとすれば仕方のないことである。
「ぷっ」
ツェナがお茶を少し噴き出してしまう。アゾルデに少年の支えの役目を代わってもらい一休みをしている際のことだった。
「そ、そんなに変だった?」
いくらか沈んだ声でアゾルデに問いかける。
「やはり若いだけあって大したものですわ。ご安心くださいな。あれだけ横になっていて、これだけ動けるなんてすごいことですもの」
倒れたサビヌを助け起こす。その視線は一度、口の周りについたお茶を拭きとっていた ツェナを突き刺していた。この視線に尋常ならざるものをどことなく感じ取った少女は慌てて二人のもとへと近づいていった。
沈む日が世界を赤く染めあげていた。
「このあたりでノバールやレナイを見た?」
ツェナがアゾルデの耳元にささやく。視線は離れを向いている。
「特に見かけませんけれど」
アゾルデもつられて離れに視線を向けている。離れには継続医療を受ける必要がある者たちのための居住施設があった。
「何かあったのですか」
「先日ノバールに会ったのよ」
視線の向きを変えずに呟く。
「どうされたのです?」
ツェナは先日の出来事を語った。
「はじめて会ったときの印象はなくなりつつあるわね。襲っていた側のサビヌが傷つき倒れ、襲われていた側のノバールが……」
サビヌが離れから戻ってきた。呟きは途中で途切れることになった。彼は心身ともに解放感あふれる表情を浮かべている。
その日は、ツェナ、アゾルデの助けを借りつつサビヌは肉体能力の回復訓練に明け暮れた。ここのところ毎日のことである。もう少し滑らかに体が動くようになれば彼も家族のもとに戻ることができる。
歩行訓練を中心にする運動でサビヌは全身疲れきっていた。そこにツェナによる護身術の鍛錬が待っていたのだからたまったものではない。サビヌが情けない声をあげて倒れ込む。その姿に、
「ふぅ、仕方ないわね。今日はここまでで勘弁してあげる」
枝にぶら下げておいた手ぬぐいを彼に渡し、側にしゃがみこんだ。
「今日は疲れたでしょ。体を動かすのは久々だものね」
「ひどいよ〜〜」
「身の守り方を急いで学ぶには、疲れきっているくらいのときがよかったから。ごめんなさい」
ツェナは立ち上がった。
「サビヌ、やっぱり祭りのとき一緒にいたほうがいい?」
視線を彼に向けずに尋ねた。
一番星が東の空に輝いていた。
(五)
「無理しなくていいよ」
サビヌは彼女の横顔を見つめている。口にできない何かを知ろうというわけではなく、知らせたくない悩みを持っているツェナを黙って受け入れようというのだ。
ツェナが急に彼を睨む。
「私とじゃ祭りに行きたくないってことかしら!」
利き手を微妙に震わせながら睨みつけている。
「僕とはいつでもいられるでしょう。毎年の家族との約束は一年の中でもこの日だけしかできないでしょ」
彼女の視線が揺らぐのを感じ、彼の視線は逸れていく。
「僕だっていられれば嬉しいけれど。わがまま言ってツェナを困らせちゃいけないから」
首を左右に振る。彼の両肩をつかんだ。
「君と出会ってから初めての祭りなんだ。家族と過ごすいつもの祭りではなく、君と過ごす特別の祭りにさせてくれないかな……だめ?」
「と、とくべつ?」
「たぶん、ほんのちょっとしか一緒にはいられないと思うけれど、それでも君と一緒の祭りを私にちょうだい」
二人の視線が絡み合う。
「うん、祭りがますます楽しみになるね」
少年はうなずいた。
「そうね。それじゃ、会えるようにお願いしてくるわ。また、今度」
少女は快活なリズムで走り出し、彼の視界から消えていった。
――やっぱりね。私もお嬢様の願いがかなうように根回ししないといけないわね。
物陰から二人のやりとりをうかがっていた僧侶も姿を消した。
背にかついでいた革袋を床に下ろす。視界の端に見え隠れする女給に声をかけながら木製の椅子に腰を下ろした。
「だいぶお疲れのようだね」
腰に短杖をぶらさげた初老の男が彼女を見つめている。この卓には三人の人物が座ったことになる。
「仕方なかろう、イバイ。彼女は初探索だったのじゃぞ」
顔の下半分を白髭で覆ったドワーフの戦士がビールを喉に流し込みつつ、彼女に微笑んでみせる。
「スゲマったら、それじゃ髭だか泡だかわからないじゃない」
戦士の顔を眺めながら彼女も酒を喉に流し込む。
「ゴホッ、ゴホッ」
「育ちのいい方には少々刺激が強すぎたようですね。下賤な飲み物で申し訳ございませぬ」
イバイは立ち上がり、深々と謝罪してみせる。下町の酒場ではあまり見られない、正式な礼法に従ったものだった。
(六)
見慣れた風景が少年の視界に飛び込んできた。
「帰ってきたんだ……」
サビヌは安堵の笑みを浮かべる。眼に移っているのはいつもの風景――夕げの支度による白煙、買い物から帰ってくる親子、帰宅前に最終的な盛り上がりをみせている子供たちの遊び。怪我前までは彼もこの風景を構成する一要素だったのだ。それが今日は風景を眺める側だ。明日から一要素に戻ることができればいいのだが。
視界の端で手を振る娘の姿が見えた。彼女は少年の姿に気づき、慌てて駆け寄ってくる。息は切れていないものの、顔を紅潮させている。娘はサビヌの全身を眺め、顔中をほころばせてうなずいた。
「久しぶりね。大怪我したっておばさんから聞いていたけれど」
彼女はあらためて頭から爪先までを眺め直す。
「ん?」
視線のしつこさに戸惑いの呟きが少年の口から漏れてしまった。動く視線を娘は止めた。
「ごめんなさいね。サビヌに会えて舞い上がっちゃったみたい」
「僕も久々にエムグラの顔を見られて嬉しいよ」
「すっかり元気みたいね」
「うん、すっかり調子いいよ」
サビヌはエムグラの周囲を飛び跳ねてまわる。その様子に思わず笑みをこぼしてしまうエムグラだった。
エムグラの視線が逸れる。
「あっ」
サビヌも周回をやめ、彼女の視線を追った。
「エムグラ、今日も楽しかったか?」
三〇代後半の男性が彼女の頭に手を載せてうなずきかける。それから側にいる少年に気づいたようだ。
「サビヌくんお久しぶり。すっかり快復したようで私も安心だよ」
「ご心配おかけしました」
「私もエムグラも安心したから、早く帰ってご両親を安心させてあげなさい」
サビヌはエムグラに視線を戻す。
「そうね、おば様たちに早く元気な姿を見せてあげなくちゃ。また、明日ね」
二人に追いやられるようにサビヌは自宅へと向かった。
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