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胎動(一〇)

 ツェナが、毛布の乱れを直す。
「……」
 その二人の様子をアゾルデは眺めている。
「それで、いいの?」
 女僧の呟きが耳に入ったのか、ツェナは両眉をよせる。
「いいわけないじゃない……」
 アゾルデは立ち上がり、ツェナの正面に回り込む。目元に笑みを浮かべながらも、真剣な表情で彼女にうなずいてみせた。
「やっぱり行きたいのですね〜〜、それでこそです」
 一人満足し、何度もうなずきを繰り返す。
「なぜ、行けないのですか?」
 連続するうなずきに混乱しているツェナに問いが投げ掛けられた。混乱している彼女にとっては、突然の問いといってよかった。問いを聞き取ることのできなかった彼女に話者はゆっくりとと聞き取りやすく語る。アゾルデの口端には笑みが浮かんでいる。
「なぜって……、それは……」
「人には言えないことなのですか?」
 再度、視線をそらそうとするツェナを見つめながら、アゾルデは笑みを浮かべ続けている。
「ということは、もしかすると、ツェナさんは人には言えない、あ〜んなことや、もしかすると、お天道様の下を歩けないようなことまでしているから、サビヌさんとは祭りに行けないということなのですね」
 女僧は視線を上に向ける。天井がみえた。
「コム様、サビヌさんはなんてかわいそうなのでしょう。恋した乙女が、実は犯罪結社の構成員で、大規模な盗みが祭り中に計画されているために、一緒に祭りに行けないなんて……」
 天を見つめるアゾルデの瞳からは、水滴が頬をつたい、垂れ落ちていた。そのしずくが床に湿り気をもたらしていく。
「なんでそうなるんです? 違いますってば」
 少女は跳びはね、女僧の視界に入るように叫びをあげる。
 寝台から音がした。
「いけませんよ〜、ツェナさん。ここは病室なんですから」
 多少湿り気の残るものの、笑みを含んだ顔でアゾルデはツェナを見据える。
「変なこというからよ、もぅ」
「結局、どうして祭りに行かれないんですか」
 顔を上気させた少女に再度問いかける。表情はいつものように微笑んだものだった。

「言わなきゃ……だめ?」
 アゾルデ、ツェナのそばにある寝台では、サビヌが穏やかな寝息をたてていた。先程の寝返りで台から落ちそうになりつつある。アゾルデが、彼の体を押しやり、台の中央へと転がして戻す。その回転が傷に響くのか、小さなうなり声がツェナには聞こえたような気がした。
「無意識のうちにツェナさんに近づこうとされるとは、実に仲睦じくていらっしゃるわね」
 ツェナに視線を戻す。
「教えてくださらないのならば、やっぱり人には言えない事情があるものと思ってしまうかもしれませんが……、たとえば、先程のような事情なんだな、って」
 はぁ。溜め息が漏れてしまう。
「わかりました。家族の事情なんです。毎年、家族と一緒に祭りに行くことになっているんです」
「サビヌさんはご一緒できませんの?」
 ツェナは静かに首を振る。
「そうなるとツェナさんのご家族はどうしてだめなのでしょうか。祭りの日に芸でもお見せになるのかしら?」
「う〜ん……、まぁ、そんなところ」

(一一)

 東の大海に流れ込む水面が、淡く輝いている。西の大地に沈む太陽がすべてを淡く照らしているのだ。ベルベル海に浮かぶ舟は完全に日が暮れる前に港に戻ろうと速度をあげる。老練な舟人は速度を上げる愚を犯さず、悠々と港に舟を向ける。
 その光のなか、人々は一日の疲れを癒すため、さまざまなところへ足を運んでいく。愛しき家族の待つ家庭へ戻るもの、一日の憂さを晴らすために酒場へ向かうもの、一時の快楽に身を包ませるためいかがわしきところへ向かうもの……、夜の街の目覚めである。

 ロンダ老とツェナが向かい合って夕食をとっている。ツェナは、老人の顔を見ては、幾度もなく口を開きかけるが、言葉を放つことができずにいた。その様子を、老人だけでなく、給仕をする婦人も微笑ましく眺めているのに、彼女は気づく余裕もない。
 ポロッ。
 ツェナが口に運ぼうとした茹で芋を転がしてしまう。特に味つけることなく、素材の味をそのまま味わうことのできる、この素朴な味を彼女はそれなりに好んでいた。芋はころころと床を転がっていき……、ケスナ婦人の爪先に当たって動きを止める。
「お嬢様、何かお悩みですの?」
 巳を屈み、茹で芋を拾った婦人は、部下である給仕娘に手渡し、ツェナを見つめる。まじめな表情を浮かべているものの、瞳には微笑みが見える。
「そういえば、今年もそろそろ祭りの時期ですのぉ」
 白いあご髭をなでながら老人はケスナとツェナを眺めている。瞳からはやはり微笑みをうかがうことができた。
 ツェナの頬に赤みがさした。
「街娘たちは、誰と祭りに行こうか暗躍を始めているようじゃなぁ」
「娘たちにとっては、一緒にいる殿方が一種のステータス・シンボルになると言いますから」
「ふぅむ、そうなると、娘たちが躍起になるのも当然というものなのかのぉ」
 ホッホッホ、とロンダ老は笑みを浮かべてケスナ婦人との会話をしてみせる。ツェナの頬はますます赤くなっている。
「私、祭りに行っていい?」
 しずしずと、やや上目使いに老人を見つめ、彼女は尋ねた。
「もちろんですじゃ。毎年参加されているではありませんか。お嬢様が参加されなくては祭りは動きませんからのぉ」
 さも当然、といったようにロンダは即答する。ケスナもうなずいている。
 グシュッ。
 静かな音が響いた。二人が音の発生源を見ると、ツェナが拳を強く握りしめていた。指先が強くめりこんだせいか、赤く染まった茹で芋の破片が食卓に落ちていく。
「そうではなくって!」
「あの少年と一緒に祭りに行きたいのじゃろ」
 いまにも叫ばんという少女に、皆まで言わせず、老人は呟いた。
「うん……」
 言いたいことをはっきりと指摘され、出端をくじかれたツェナは弱々しくうなずいた。彼女の顔はもうこれ以上ないというくらい真っ赤に染まっていた。
「無理じゃろうなぁ」
 老人は立ち上がり、少女のもとへ歩み寄りながら呟いた。その顔にはもう微笑みのかけらもない。慈しみ深く孫娘を包み込もうというやさしさが全身からあふれ出していたものの、表情自体は有無を言わせず、という厳しいものだった。

(一二)

 ロザンスは呪文書に目を通す。何もない空間で、数年間を過ごしていただけあって、彼の中には何もない。何もない彼は呪文書にかかれた知識をおそろしい勢いで吸い取っていく。
 衣食住?
 身にまとうものは、師匠が冒険者と自称する侵入者の死体から剥ぎ取ったものが多々ある。問題無し。
 滅多に与えられなかった食生活のなかで、彼はさほどの栄養素を必要としなくなっていた。激しい肉体労働をするでもない、知的労働の際には、彼はほとんど栄養を摂取する必要がないのだ。やはり師匠が奪い集めた食料で事足りている。問題無し。
 いかに師匠を倒した侵入者といえども、彼の住まう迷宮を破壊していったわけではなかった。師匠を頂点とする絶対の秩序が無くなったものの、その迷宮は充分彼が住まうに足りるものであり続けていた。問題無し。
 ――身を失っても、未だに俺を支配し続けようというのか?
 師匠で生き永らえている己の状態に自嘲しつつ、書物の頁をめくる。
 未だに〈マドル・フスイ〉を読み取ることはできていない。だが、焦りは感じない。この書物が強く彼を魅きつけていることは感じるものの、まだ読む準備ができていないことを告げてくれているからだった。
 〈マドル・フスイ〉を初めて抱いて眠った翌日。書庫に立ち寄ると、ロザンスは己が読むべき書物を感じ取ることができた。その後、数日かけてその書物を読み切ると、再び、読むべき書物を感じ取ることができた。
 数冊の書物を読み切った彼は、試しに〈マドル・フスイ〉を覗いてみることにした。
 何となく分かり始めたような気がした。
 文としての流れをつかむことはできないが (どこで文が切れるのかどうかも怪しい)、単語それぞれの概念が分かるようになった気がする。
 この結果に満足したロザンスは、この〈感じ取る〉という感覚を信用し、さらに書物を読みあさっていった。
 師匠への憎しみは薄れないものの、師匠を超えたいという強い感情、そして、生活環境を与えてくれた師匠への感謝に近い感情が芽生え始めたのもこのころかもしれない。

 ――眠いな、目も疲れたし、そろそろ……。
 書物を汚さぬよう、書物とは別方向に身を投げ出す。横になると同時に意識は現界から異界へと居場所を変える。
 強く輝く存在の前に、ロザンスは漂っていた。ロザンスは真っ白な衣をまとい、豊かな黒髪が辺りに無秩序に浮遊していた。
 存在から延びてくる光が彼を包み込む。彼のすべてを覗き込もうとする意志を感じさせる。その中には彼の体をもてあそぼうという邪念は感じられない。ロザンスとしては、別にそのような邪念があっても実は構わない。この存在が彼に力を与えてくれるのだから、彼の体にそのような興味を持つことなどささいなことなのである。
 存在は、彼の成長具合に満足したのか、光を己のもとに戻し込む。

 朝。とはいうものの、時を告げる陽光の届かぬこの地では、迷宮外でいうところの〈朝〉が訪れたのかどうかは明らかではない。
 ロザンスは目を覚ますと、特に何を口にするわけでもなく、そのまま書物に向き直る。
 ただひたすらに書物を読み解く。これがここ数年の彼の暮らしのすべてだった。

 〈枯れた迷宮〉。
 侵入者が荒らし尽くした迷宮を、侵入者たちはこう呼ぶという。
 ロザンスの住まう迷宮は、迷宮の主が滅ぼされた迷宮である。が、枯れた迷宮とはなっていない。未だに滅びを免れた怪物たちの生き残りは、独自の活動を続けている。
 ここ数年、新たな侵入者はいないという。師匠の遺命を守り、外界との接点を閉ざしたからである。入ることも出ることのできなくなった、この迷宮――言わば〈閉じた迷宮〉に彼は住まうのである。
 ロザンスがこの迷宮を出るまでには、まだ十数年の時が経過しなければならなかった。

第一篇 第三幕 胎動 完

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予告
第一篇 第四幕 波紋(はもん)
 祭り。神様への感謝を理由に、人々が集い、思い思いのことに従じる時。
 このときばかりは、権力者達も大目に見るものである。とはいうものの……。
 別離の予感と互いを求める心。それに気づく若者達。

(全12回)


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