竜龕(七)
――ごめんよ、サビヌ。でも、僕はもういじめられたくないんだ。
ノバールは寝息をたてている二人の肩を揺すった。身じろぐ少年らに〈魔法使いの館〉を指し示す。
「よし、おまえはみんなを呼んでこい。ま、ノバールがみんなを連れ戻ってくる頃には片はついているだろうがな」
二人の少年はノバールを置いて、茂みのほうに向かった。茂みが路地と館を分けていた。
「待って、僕もやる。サビヌをやってからレナイさんたちを呼んだっていいでしょ」
ひざをガクガクいわせながらノバールは声を出した。彼の脳裏にレナイの言葉がよぎっていた。
――ん? ノバールくん、どうして我々の仲間になれたかわかっているよねぇ。
――サビヌのおかげ……。
――その通り、よくわかっているねぇ。サビヌが我々を裏切った代わりに、君は補充人員として仲間入りができたんだよ。補充人員というのは数合わせということさ。ん? わかるかなぁ。
ノバールは首を振った。
――つまり、ノバールくん、君である必要はなかったということさ。サビヌが裏切ったおかげで我々の人数は一人減った。そこで一人の仲間が新たに必要になった。君は人数調整のために仲間として迎え入れられたというわけ。
ノバールにはいまいちよくわからなかった。どんな理由であれ仲間に入れたのだからいじめからは解放された。これでいいのではないか?
――言い換えれば、君よりももっと素晴らしい仲間が加わりそうになれば、君は今までの境遇に戻ってしまうわけだ。我々も必要のない者を仲間にしておくほど余裕があるわけでもないからね。
――えっ?
ノバールの顔からの血の気が一気に引いた。それを眺めるレナイの顔は嫌らしい笑みでいっぱいになっていく。
――だが、ノバールくんが必要だと我々が思えるようになれば、どうかな。必要だと思える者ならば、新しい仲間が入ってきても入れ替わりに立ち去らされることもないだろうね。
少年の顔に若干血の気が戻ってきた。レナイは近くに控えていた少年に軽くうなずいてみせた。
――裏切り者を捕まえ、その罪を暴くことができた者は、きっと我々の中で認められる存在になると思うよ。
レナイは控えていた少年の手から腕くらいの長さの細長いものを受け取り、それをノバールの手に握らせた。
――これは?
細長いものを握り直しながら、ノバールは呟く。だいぶ戻ってきていた血の気が再び減り始めている。
――はも……
――ノバールくん、君には本当に期待しているんだ。ほかの仲間はきっと軽蔑しているんだと思うけれど、君は裏切り者の逃亡が我々に与えた損害以上の利益を我々にもたらしてくれると思っているよ。大丈夫、君ならできる。自信を持って、ね。
「そうだな。ノバールの覚悟も見せてもらいたいしな」
「いいのかよ、レナイさんは見つけたら仲間に教えろ、と言っていただろ」
「な〜に、〈すぐ〉教えろ、とは言われていなかったろ。怒られたら、ノバールのせいにすればいいんことだし、な」
「そうだな」
(八)
サビヌが体を起こすと、自分に近づいてくる少年らの姿を見ることになった。一瞬、混乱状態に陥りそうになったものの、少年らの中にノバールの姿を認めたことにより、その混乱は急速に終息を迎える。
ノバールならばこの逃げ方を予想できて当然か。彼は数年にわたっていじめられてきている。この街でいじめの加害者から追われるのを避けるための抜け道はいくらでも知っていることだろう。
混乱は収まったものの、待ち伏せを受けていたというこの状況には変化は見られない。サビヌはとりあえず、追手のいない方向へ逃げることにした。それは、ツェナの歩いてくるのとは逆の方向だった。
サビヌの周囲にいくつかの石が落ちる。投石を行っている追手も、追いかけられる者も走っているため、まったく当たる気配はない。
――石がとんでくることでサビヌはかなりこわがっているんだろうな。
自身が追いかけられながら、石がとんできていたときのことを思い出しつつ、ノバールは 思った。
――きっと、この人たちはサビヌに当てようとしているんだろうけれど。この当たらない状況が長く続くほうが、逃げる側に取ってみればこわさが大きいとは思ってもいないんだろうね。
己の周りに石が落ちる音を聞きながら逃げる。サビヌはこの初めての経験にいささか動揺しつつあった。この状況から逃れようと、目に付いた路地を左に曲がってみる。
行き止まりだった。
サビヌが助けを求め手当たりを見渡してみるものの、助けになりそうなものはない。
少年らとノバールが路地を曲がってきた。少年らは追いつめられた獲物をどう料理しようかと、口の端に薄く笑みを浮かべている。ノバールはというと、自分が追い詰められたかのように、厳しい表情である。
――サビヌくん、まだあきらめないのか?
ノバールは追い詰められたサビヌの表情を凝視した。自分がこういった状況に陥った時に浮かぶ表情とは別のものに見えたからだ。はじめに見たときには自分と同じような表情に見えた。だが、あらためて見直すと、その表情には自分のものにはなかったものが見えるような気がした。それは理不尽な運命に突如追い込まれたことに対するものか。己の生きざまを他者に決めつけられはしない、という決意なのか。
ノバールはサビヌの顔を見て感じ取ったのは、一言でいえば「あきらめない」、そういうことだった。
良い顔だな。
ノバールは壁の向こうから低い声が聞こえたような気がした。前にいる少年らやサビヌは気づいていないようだが。
ポトリ。
サビヌの足元に一本の枝が落ちた。片腕くらいの大きさがあり、生え分かれている小枝はきれいにきられていた。
(九)
「いやね、ここに来る前にちょっと寄り道してきたのさ」
背中についた土埃を払いながら、ロビンソンはグルーフに反応を返した。
「ほぉ。あなたが寄り道とは珍しいことですね。もっとも、あなたと会うときはいつも寄り道されていたような気もしますけれどが」
「きょうは、ほかならぬ老のお召しなので、もちろんまっすぐここに来るつもりで、寄り道する気はなかったさ」
ロビンソンは後ろを向いて、グルーフに背中を見せる。
「大丈夫ですよ。もうほとんど埃はとれたようですね」
若い騎士はそのこたえに安堵した表情を見せる。
「ケスナ婦人に見つかったらことだったからな」
「婦人は実にきれい好きな方ですからね」
グルーフは、片手で空いている椅子を示しつつ、ロビンソンの顔を静かに見つめていた。
「私個人としては、あなたの寄り道の話を非常に好んでいるのですよ。きょうはいったいどんなことがあったのですか」
ロビンソンは椅子に座る。卓の中央に置かれていた杯と水差しに手を伸ばす。
「あなたが着く少し前に婦人と話したのですが、老が来られるまで少々時間がまだあるようです。ですから、ロビンソンの寄り道の話を聞く時間は充分ありますよ」
喉の渇きを癒した騎士は、杯を置き、学者のほうに向き直った。
「そう言っていただけると話し甲斐があるというもので、うれしいですな」
ロビンソンは老の館を目指し、遅刻しないため、寄り道しないよう、市場といった好奇心に訴えてくる地点を避けて、歩いていた。
縁者の塔周囲に展開している市場は、彼のお気に入りの寄り道地点の一つだ。ロビンソンは、市場に近寄りそうな足を必死にこらえつつ、塔から一定の距離を保って迂回していた。最初は市場に踏みいることができないことがつらかったのだが、やがては新しいものに魅かれていく。
本来、この辺りは中流階級の住む一角なのだが、実は上流階級の別宅がひそかにいくつか建てられいるという。そのことが普通の中流地域とは違う雰囲気を漂わさせているのだろうか。ロビンソンは、この微妙な特異性に魅せられてしまったといえよう。もういくつか彼の心をとらえる光景があれば、この地域もお気に入りに加えられただろう。
三十路目前の騎士が背に土埃をつけたのはこの地域でのことだった。他人の家に迷い込んでまで、この地域の臭いを楽しんでいた。
垣根の向こうがどうも騒がしい。彼は足を止め、耳を澄ました。どうやら、少年たちの争いのようである。
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