俳句と川柳、その違い
俳句、そして川柳、この2つは5・7・5の17音という同じ形で構成されている定形詩です。形が同じため、ぱっと見には同じようにみえます。しかし、まったく別のものなのです。戦後には、俳句に無季俳句という「季語」を含まない俳句まで出現してしまっているので、何も知らずに5・7・5という形のみを知っているという人は混乱するばかりですね。
それでは、形の同じ定型詩「俳句」と「川柳」の違いを見ていきましょうか? ところで、「俳句」は近代明治期以降の呼称であって、それ以前の近世江戸時代は「発句(hokku)」と呼称されていました。近代以降の「俳句」とその「発句」は奥底に流れるものは同じようですが、若干の違いがあるんです。
違いを知るためには歴史を見ていくことが重要です。この2つの源流は「連歌(renga)」と呼ばれるものです。これは平安時代から盛んになってくるサロン文学の一種です。特に平安時代末期から盛んになってきています。
一応、連歌について説明しておいたほうがいいでしょう。中世文学におけるひとつの大事な分野なことですしね。
連歌は中世(おもに室町時代)に成熟期を迎えたといえるでしょう。平安時代末期に発生したようですが(「古事記」「日本書紀」のどちらかの古代の記述に連歌の例が見えるが一般的事例とはいいがたい)、歌合(うたあわせ)や歌会(うたかい)の余興として行われたのでしょう。ちなみに歌合とは東西の組に分かれ、それぞれで作った歌の優劣を競い、賞品を取り合うというものでした。紀貫之や古今和歌集もこの歌合という娯楽の隆盛のなかで生まれたものです。歌会は、何人かが集まって戯れに(戯れではない場合もあったが)、歌を詠むという「場」でした。どうでもいいことですが、日本の文学は「場」に支えられてきたわけですので「サロン文学」なのです。
歌合や歌会の構成には「場」が不可欠でした。その「場」において、簡単にできる「連歌」は発生したのは当然というものです。前の詠者の句に次の詠者が新たな句をつけていく……、31音の構成(和歌)に頭をひねっていた「場」の構成者にも、たやすく楽しめる「連歌」はありがたかったでしょう。「場」の構成者(平安時代なら平安貴族や高僧)の全員が「和歌」と得意としていたわけではないのですから。確かに、彼らにとっては「和歌」は必須の知識でした。ですが、「必須」=「得意」というわけではありませんよね。そういうわけで、紀貫之などにはじまる専門歌人の登場となりました。
鎌倉時代になると、平安貴族は衰退していきました。貴族は食を求めて、地方の勢力をたよって都落ちしていったりしました。そういう時代背景のなかで、鎌倉時代以降の中世と呼ばれる時代には、平安貴族の独占物であった「文化」「教養」というものが様々な層に浸透していったのです。とはいっても、平安貴族のように、たくさんの時間を「文化」「教養」にかけるわけにいかない一般の大衆は「歌」を簡単に詠めるような力を持つのは無理というものでした。そこで、簡単に詠める「連歌」が大衆に流行ったのでした。彼らは、貴族らとは違い、俗っけたっぷりの語を使い、日々の生活などを詠み込み、芸術というよりも笑いを中心とした連歌を詠んでいったのでした。そのような連歌は現在、「俳諧連歌」と呼ばれることもあります。室町時代には、勅撰集(天皇の命令で編まれた作品集)が作られるほど流行しました。
そして、江戸時代になると連歌を詠み「場」の主人を職業とする人々が大量に現われました。彼らは、いい句を詠みたいという参加者らのために「連歌」の訓練を行いました。「〇〇」という句が直前に詠まれたならば、どのような句で詠めばいいだろう、という訓練です。その訓練・指導で名を売ったのが、柄井川柳(からいせんりゅう)という人物でした。彼は門弟から送られてきた作品を、一つの紙にまとめて添削しました。そこには、5・7・5の句がずらずらっと並べられていたのです。その紙を見てみると題の句がなくても十分に意味のとおる面白い句がたくさんありました。そこから、「川柳」というものが「連歌」から独立したのでした。
「俳句」の創立者とされている松尾芭蕉(まつお・ばしょう)ですが、彼も柄井川柳と同じように「俳諧連歌」のお師匠さんでした。芭蕉は「おかしさ」「ばからしさ」にあふれる俳諧に嫌気がさし、西行法師を目標に、侘び住まいをしていきました。そこでできたのが、あらゆるものを17音に集積する「蕉風俳諧」と呼ばれるものでした。そして、この流れを継承しようとした近代の詠み手、松岡子規(まつおか・しき)が「俳句」という呼称を使い始めたのでした。
以上、大ざっぱに書かせていただきました。各自代の具体的な例をあげることができれば幸いなのですが、参考文献もあげられないくらいなのでご容赦ください。
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