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胎動(七)

 キングーニャの祭りは国外にまで噂が伝わるほどではないものの、決して小さなものではないという。華美なことよりも身内での語らいを好むという、この土地の住人たちにその原因はあるのだろう。この土地を治める特権階級もその性格を大いに好んでいた。
 とはいえ、それでも祭りである。一年に一度しかない祭りに興奮しない人はあまりいない。穀物類の収穫を祝う儀式を中心とした祭典ということで秋に行われている。海運関連が主な産業であるこの都市でも、そのせいか、この季節に開催されている。

「う〜ん、全快とはいえないが、祭りまでには動けるようになるだろうな」
「よかったですね、ツェナさん。サビヌさんと一緒に祭りまわれますね」
「これも初期処置が良かったからだろうな」
 コム教会の一室。そこに四人の人々がいた。寝台の上に横たえられているサビヌ。負傷した彼を運んできたのが、ツェナとアゾルデという二人の女性だった。
「しかし、ほんとにアゾルデの腕は悪くない」
 教会に仕えている薬師は、女僧の姿を上から下まで丁寧に眺めている。
「お前さん、相当の場数を踏んでいるな」
 そう言い切った男をツェナは慌てて見る。そして、その言葉を脳裏で反芻しながら、アゾルデの姿をあらためて見つめた。
「あらら〜、変なことを言わないでくださいませ。純真なツェナさんが真に受けてしまうじゃありませんか」
 アゾルデは手のひらをひらひら揺らして否定の意を全身で表す。が、その表し方がいささかうさんくさいものを感じさせないでもない。
 ――そういえば、この人って何者なんだろう? 突然現れてサビヌを助けてくれたけれど?
 ツェナは少々気にならないでもなかった。だが、アゾルデはコムという神に仕える僧侶である。この薬師の話しぶりを見る限りでは、この教会に身を寄せている存在ではないらしい。
「今回はありがとうございました。改めまして、ツェノワ・マグダウェルです。ツェナって呼んでくださいね」
 サビヌの命の恩人に正式な自己紹介をしていなかったことに気づき、ツェナはアゾルデに、そして、ついでに薬師に名乗った。自己紹介を応酬することで、彼女の正体をつかめるかもしれない。
 ――いつまでも守られているだけではいけないから。
「私はアゾルデ・クネットと申します。見ての通りコム様の御心に従って生きさせていただいています」
「クロパ・マルヒロという薬師だ。小僧については俺に任せておけば大丈夫さ」

(八)

 クロパとアゾルデはツェナを寝台の側に残し、別室へと移動した。
「ここがマルヒロ師の診療室ですか〜〜、なかなか使いやすそうにまとめてありますねぇ〜〜」
「そうかね? 部下たちにはなかなか不評なのだがな、迷宮みたい、ってな」
 薬師は雑然とした机の側の丸椅子に腰を下ろすと、向かいにある背もたれ付の木製椅子を手で示した。
「ところで、ほんとにいいのかね?」
「なにがです?」
 女僧は透き通るような笑みをしてみせる。
「君の実力ならばあの程度の傷は軽く癒すことができるのではないのかね? 君自身が癒したくないとしても、うちの祈祷師たちでもあの程度の傷ならば痛みを和らげるくらいの祈りをすることはできる。祈りの代金としても、あの階級のものが払うことができる範囲内に設定してある」
 クロパはアゾルデの瞳を強く見つめている。
「いやですわ、そんなに見つめられると……、私、勘違いしてしまうかもしれません」
 アゾルデは頬を赤らめ、両手をそこにあててみせた。
「本当に彼に対する治療は薬だけでいいのかね? 私が知りたいのはこのことだ」
「きゃっ! マルヒロ師、力お強いのですね」
 クロパは彼女の肩に手を置いた。眼には真剣なものが浮かんでいる。
「そろそろまじめに答えてもらえるとありがたいのだが。私とても、コムに仕えて日が短いわけではない。君の噂くらい耳にしたことはあるのだよ、近衛僧兵団所属クネット君?」

 ――サビヌの手、温かいな。あんなに血を流したのに、まだ、生きているんだ……。
 ツェナは寝台の側に座り、彼の手を握っていた。窓から入り込んだ陽光が二人を暖かく包み込んでいた。
 ――あんな小さな刃でもこんなにたくさんの血を流せるなんて。ヨーコル師の技を受けきれなかったときも、ニューアがいなければサビヌみたいに血を流していたのかもしれない。
 ツェナは足音を聞いた。入ってきたのは高齢の女性だった。
「娘さんや、怪我人を見るのは初めてなのかい?」
 ツェナは少なくない時間悩んだ後、静かにうなずいた。
「傷や痛みというものは、自分の大事に想う人が被ったとき、初めて恐ろしいものだと気づくものなのさ。お前さんの表情を見ていると、そういったものとは別に、初めての経験という未知への驚きも感じ取れたね」
 話しながらも嫗はツェナとの間合いを詰めている。
「その年でこういったことを初めて経験するなんて、かなり平和な人生を過ごしてきたんだねぇ。こういった社会もあるってことを覚えておくんだねぇ」

(九)

 アゾルデが戻ってきた。
「よかったわねぇ」
 たんぽぽのように何があっても途切れそうもない笑みを浮かべた女僧は、横たわる少年と、その側に座る少女を眺めている。
「どうしたんですか?」
 アゾルデの笑みにひきつられ、笑みを浮かべてツェナは尋ねた。何がいいことなのかはわからないにしろ、見ているだけで幸福感が伝わってくる表情というのは存在することは確かだ。
 アゾルデは、彼女のまとう雰囲気から予想されるよりは鍛えられた筋肉のついた手をツェナの耳元にあて、筒をつくった。女僧は、寝台のサビヌに目をやり、しっかりと眠っていることを確認する。その際に、女僧の行動に戸惑っているツェナの表情を見、その動揺具合に満足げな笑みを口端に浮かべた。それから、ようやくアゾルデはツェナの耳元に回答をささやく。
「今度の祭りまでにサビヌさん動けるそうですね」
「えぇ。先程、クロパ先生からアゾルデさんと一緒にお聞きしましたよね」
 ちょっと眉毛を震わせながら女僧の顔を見つめる。あいかわらず顔いっぱいに笑みが展開されている。
「祭り楽しみですわよね」
 ――祭り。今年ももうそんな時期なの……。数多くの面倒な儀式、退屈な宴に、疲れる立ち会い会。今年も面倒な行事が来るのね……。
 ツェナの口から知らず知らずのうちに、溜め息がもれてしまう。
「あれ、サビヌさんと一緒に行くのでしょう? そのわりには嬉しそうにはみえませんわね」
 最初はひそひそ話だったはずの二人の会話も気づけば、普通の音量の会話になっている。屋外の会話と比べれば、診療所にいるぶん、若干音量は抑えられているのではあるが。
 アゾルデは笑みが止まらなくて困るといったような表情を浮かべている。何がそんなに笑いにつながるのやら、と思いつつツェナは笑みに圧倒されつつある。女僧は、祭りという言葉で生気をやや失わせた様子を観察しようと、彼女の顔を深く眺める。
「あれ? サビヌさんとご一緒に祭りに行かれるのですよね〜〜? もしも〜し? ツェナさん、私の声、聞こえてますよねぇ?」
 ぱちくりぱちくり。
 激しい瞬きを数回した後、ツェナはアゾルデの顔に焦点をようやく合わせた。
「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたもので」
 ぎごちない笑みを浮かべつつ、少女は頭を下げた。その彼女を女僧は楽しそうに見つめている。
「サビヌさんと一緒に祭りに行くのが楽しみでしょう、と言っていたところです」
 問われた少女の顔は複雑な変化を見せる。喜び、恥じらい、戸惑い、驚き、哀しみ、疎外感、罪悪感……、無数の感情がツェナを次々と通りすぎていったようだ。
「私、サビヌとそんな仲にみえます?」
 恥じらいや戸惑いの要素を強く浮かべたツェナが呟いた。
「自信を持ってくださいね」
 女僧は、ツェナの両肩に手を置き、両眼を見据える。
「ツェナさんとサビヌさんは深い仲にみえますよ。血を流した彼を見るツェナさんから深い愛情が感じ取れました。誰が見てもお似合いですよ」
 嵐と満潮が重なった海のように彼女の顔には急激に血が上ってきた。だが、その血も一気に戻っていってしまう。
「でも……」
 ツェナはアゾルデから視線を外してしまう。
「どうしました?」
 ツェナは、寝台のほうを向いている。視線の先にはサビヌがいた。彼は二人の会話も気にせず、リズミカルな寝息をたてていた。
「私……、サビヌが行ってくれるとしても、私は、行けないかも」


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