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竜龕(一〇)

 ロビンソンが、朽ち始めている垣根を見回すと、小さな穴をいくつか見つけることができた。覗き込んでみると、一人の少年と三人の少年が向かいあっている。三人組の中でも、ひ弱そうな肉体の持ち主は血走った眼をしていた。
 あの眼は危険だな。
 追手側に属しているものの、その眼は少年が追い詰められていることを示しているように、ロビンソンには感じられた。その表情は彼がいつ暴発してもおかしくないことを騎士に告げていた。
 ――しかし、対するあの眼はどうだ?
 ロビンソンは、切羽詰まった少年の視線の先を注視し始めて、自問するに至った。
 人数的に不利な状況に陥っているというのに、見苦しい表情を浮かべていない。戦いをなめている、向こう知らずな若者たち特有の表情ともまた違う。己の不利を受け入れつつ、現在の状況を無意識の内に把握している――といった感じだろうか。
 ――これはおもしろい小僧だな。
 騎士は手近の枝を静かに折り、懐からナイフを抜き、いくつかに分かれている小枝を切り落としていく。
 少年たちの間の空気は急激に上昇しつつある。いつ実力行使が始まってもおかしくなかろう。
「いい顔だな」
 ロビンソンは静かに一人ごちた。それと同時に彼の右手がきれいに整えられた枝を、小僧の足元に投げ入れた。

 ロビンソンは一息ついて、水を喉に流し込む。杯に残った薫りが花を刺激する。今まで気づかなくても仕方ないほど、薄く控え目な薫りだ。
「ん? さすが婦人。いい薫りの水だな」
 グルーフは眼を大きく見開いて、彼を注視した。
「あなたのような方が気づくとは……、少々意外です」
「ひどい言い様だな。私とて騎士の端くれ、薫りを味わう鼻くらいもっているさ」
 杯に次の水を注ぎながら、グルーフに言い返した。
「しかし、その少年をかなり気に入られたようですね。あなたが気に入るということはかなりの少年なんですね」
「私は決着がつく前に立ち去ったさ。枝を投げ入れたときにもう勝敗は見えたからな」
「それは残念です。もう少しあなたのお気に入りの少年の話を聞いていたかったのに」

 足音が近づいている。二人は立ち上がり、 入ってくる老人に頭を下げる。
「すまんな、待たせたのぅ」
「いえいえ、そのおかげでロビンソンから珍しい話を聞くことができたので、感謝したいくらいですよ」
「ところで、老、お話というのは? 我々に声をかけるくらいなのだから、かなりおもしろい話なのでしょう」
 口元を含む顔の下半分を髭で隠した老人は、静かにソファーに腰を下ろした。グルーフ、ロビンソンの腰かけている木製の椅子と比べると、かなり高価そうだ。
「実はのぅ、お主たちに鍛えてもらいたい者がいるのじゃ」

(一一)

「鍛える?」
 意外な物言いにロビンソンは少々狼狽せざるを得なかった。このような呼び出しをされる場合、たいてい、かなりの確率で命を失うようなことを頼まれるのが今までのことだったからだ。騎士は老人からグルーフに視線を移した。
「ご老体が我々に頼むくらいなのですから、 よっぽどの人物なのでしょう」
 グルーフはそう言いながら、眉を逆立てた。ロビンソンの記憶が確かならば、何かを思い出そうとすると、あの動きが見られたはずだ。
「先日の占顔ですかな?」
 ――グルーフ師の占顔を受けた者がいるのか?
 ロンダ老は「ふむふむ」うなった。
「あれだけの相はなかなかいまい」
「さすがお嬢様の気に入られた方ですね。実に稀な相をされてました」
 学者が気づくと、騎士は寂しそうな表情をしていた。
「どうせ、俺なんて、話に混ぜてもらえないんだ……」
 杯で指先を塗らし、その指で卓に円を描いて暇をもてあそんでいた。
「おぉ、すまぬのぉ。お主には話しておらなんだな」
 老人が学者にうなずいて見せる。
「ロビンソン、すみませんでした。この前の占顔のことは話せないことになっていたのです」
「そんなにすごかったのか?」
 詳しく話していいのか、グルーフは老に目で問いかけた。
「ロビンソンもあの少年の運命に絡み始めている。かまわんじゃろうて」
 ――? 絡み始めている?
 老は懐から巻物を出し、卓上に広げた。
「これはさっきの小僧?」
「やはり、あなたも彼の運命に絡まり始めているようですね」
「すると、この小僧を視たのか?」
 グルーフは巻物に書かれた子供の顔に近づく。そして、輪郭線をなでながら話す。
「この線がまた珍妙なのです。一見、どこにでも見られそうな顔立ちなのですが、この線の滑らかさが何とも言えないのです」
「どういうことだ」
 次に眉毛をなでる。
「この傾き加減から勇者の相を感じられます。ですが、輪郭によれば、勇者である時間ははかないもののようです」
「よくわからんが、完全な勇者ではないということだな」
「残念なことじゃが、な」
 ロンダは巻物を懐に戻す。
「だが、この際、ぜいたくを言ってはおられまい。お嬢様には強力な守り手が必要なのじゃからな」

(一二)

 ロザンスは、書物が散乱する部屋に踏み入れた。あてがわれた部屋から出るのは初めてのことである。
「静か……、だな」
 部屋は広く暗い。ロザンスの視界は、今までいた部屋から漏れ出してくる、か細い灯りに よってのみ支えられていた。
 とくに考えなしに彼は足元から本を拾い上げてみた。念入りに表装された本からは、革特有の触りごこちが返ってくる。
「〈マドル・フスイ〉? 何が書かれている?」
 中を覗いてみたものの、ロザンスの語学力では意味を理解することはできなかった。彼の力では、どう発音するのかを知ることができるだけであった。
 とりあえず〈マドル・フスイ〉と題された書物を脇に抱え、書物庫の広さを探ってみることにする。保管するものの性質上、室内は暗くそこそこの湿り気を持っていた。
 ――なぜここまで本を粗末に扱う?
 床にはさまざまな書物が散乱していた。本棚から崩れ落ちたようである。自然に崩れ落ちたのか、誰かが人為的に崩したのかは理解できなかったが。
 つまずいた。
 バランスを崩したロザンスは手近なものにつかまろうとした。手が握ったものは一冊の本。本が彼の体重を支えきれるはずもなく、倒れることになる。
 そして、一冊の本が均衡状態を支えていた、その本棚から彼を追いかけるように崩れ落ちていく書物たち。
 ロザンスが意識を取り戻すと、視界は闇に包まれていた。周囲を手探ってみると書籍の中に埋もれているらしい。成人男性一人を埋め尽くすだけの書物となると、かなりの重量のはずだ。だが、彼はさほどの重量を感じてはいなかった。彼の嗅覚を古びた革の臭いが刺激している。
 彼はどうにか抜け出した。山から抜け出したのだが、視界は未だ暗い。どうやら、隣室からの灯りが届かないところまで歩んできてしまったようだ。目を大きく開け各方向に注意を払う。左に小さな光が見えた。なじみ深い、矮小な灯りだ。

 ロザンスは自室に戻った。恐ろしいまでに何もない部屋ではあるが、安全だということは間違いなく、安心できる空間だ。
「眠い……」
 彼は床に寝転ぶ。すぐに眠りに落ちていった。無意識の内に一冊の書物を抱きながら。
 この書物こそが、倒れかけたロザンスのつかんだ書物であり、〈眩しき者〉と呼ばれていた光術師の遺物であった。

第一篇 第二幕 竜龕 完

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予告
第一篇 第三幕 胎動(たいどう)
 未だ時は満ち足りぬ。夢の中に迷うのも、また一興かと。
 二人の若者、情けを知りて争いを見過ごす。 (全12回)


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